おれの山、おれの道

生半可なおっさんが主観的に山登りと人生を語るブログ

今後のブログ運営について何かしら書こうと思ったらわけのわからん自分語りみたいなのをどっさりと吐き出すことになったので自己紹介がてら更新してみるぜ

少しブログの方向を転換する。

当初からそういうこともあろうかと思っていたが。

とりあえず力を抜いて、雑記的な感じに書きつつ自分の考えなんかを整理していこうと思う。

 

人生ってのは思わぬきっかけで思わぬ方向に流れていったりするもので、始めた当初とはちょっと事情が変わってきている昨今、自分の現状からして特に方向性は定めずに次の方向が定まるまでしばし漂ってみる、という方向に方向転換(方針転換か)してみるのがよかろうかと。

 

とまあどうでもいいのだが、何かしらものを言おうとするとなかなかに回りくどい感じの自分の性質を思い知らされてめんどくさい限りだが、その辺もひっくるめてとにかくいろいろと吐き出していきたいところである。

 

しかしまあ何か書こうとするといちいち言い回しが回りくどいなあと自分の文章を見ていて痛感する。この無駄に言葉がのたくり回るような感覚。文章を書こうとすると非常に邪魔である。何か言葉を発しようとすると連想ゲームじゃないけどそれに引きずられて次から次に想念が呼び起こされ目的と関係ない方向に流れ出そうとするのである。

 

この感じを体現しているのがテレビで見かける宮本浩次(みやもとひろじ・Macの文字入力だと「こうじ」からしか変換できない)の姿。質問されたことに答えようとすると答え以外のいろんなことが想起されてわけわかんなくなって頭搔きむしるみたいな感じ。宮本浩次ってのはエレカシのボーカルね。

 

いわゆる何らかの発達障害みたいな社会に不適応な要素なんだろうけど、おれも実はそれを自身に凄く感じていて、世の中で人と接するときに自分をまともな人間に見せるためには黙っているってのが一番手っ取り早い感じなのである。

 

確かに子供の頃から周囲に馴染めない子供だったし実際馴染めない中で生きてきたし今も馴染めていないことは十分自覚している。そしてその馴染めない感覚を押し殺して黙って生きるってことを数年前まで10年間くらいやってきたつもりなんだけど、なんでそんなことをしたのかっていうと、自分が社会不適応な人間だってことを言い訳にしたくないなってことが一つと、普通の「あたりまえの男」になりたいっていうある種の憧れみたいなものがあったから。

 

社会不適応を言い訳にしたくないってのは、若い頃(25歳くらいまで)におれが自分を表現しようと音楽やったり小説書いたりしてたんだけど、とにかくその頃のテーマってのが馴染めない自分を正当化しようという衝動が強くて、そのくせその馴染めない社会ってものを自分がまったく知らないんだと自覚した時に思ったこと。これじゃダメだと方針を転換したことがきっかけになっている。

 

それよりも前、最初に自分が社会不適応だと感じ始めた時にはおれはパンクロックに救われた気分で高校を中退して家を飛びだすという行動に出たのだが、そこから突っ走っていろいろあって25歳の頃に自分的にぶち当たった壁を目の前にして思ったのである。「世の中くだらない、クソだ、バカばっかだ、みんな狂っててまともなのはおれだけだ、なんておれは思っているけど、その世の中のことをおれはどれだけ知っているのだ?」

 

17からここに至るまで、おれは高校を中退してバイトしてためた金で風呂無しアパートを借りて家を出て、バンドをやったがうまくいかず、地元ととのつながりも完全に断ち切ってたった一人で東京に出て新宿のしょんべん横丁のはずれのバッタもんの洋服屋でバイトをしたりしつつ新しいバンドを組もうと画策してうまくいかず、クズのような暮らしの中で知り合った女性と同棲してバンドをやめて小説家になるなどと息巻き、結局それも自らのダメさを露呈しまくった挙句破局して20を過ぎて実家に戻り、バイトしながら大検なんてのを取ったので大学なんかに通い出し(通信だけど)哲学やら文学やら心理学みたいな社会不適応者に優しい学問に精を出しつつ免許を取って買った車で夜毎友人たちと酒を飲みに街に繰り出してはグダを巻くといった感じで過ごしてきたのだった。

 

実際に真っ当な人が普通にいろんなことを乗り越えて日々ちゃんと朝起きて仕事に行って何がしかの成果を生み出すことの積み重ねによって成り立っているこの世の中の本筋については何も知らず、当時よく言われたフリーター(今や死語?)という社会底辺の称号を与えられて結局は実家に寄生しているだけの存在と化した自分を省みて、そしてそこから何の成果も生み出せない自分を見て、「これじゃあかん」と思ったのである。

 

と、ここまで最初に書こうとしたことから大きく脱線してしまった。

が、まあいいか。先に進む。

 

そう。そしておれはひとまず自分が一生懸命否定しようとしている世の中の一員になることにしたのだ。自分が世の中を否定しようとするのが、本当に世の中がくだらないからなのか、結局自分がそこに入れてもらえないから負け惜しみを言っているのかわからなかくなってしまっているいことに思い至った感じだった。

 

子供の頃に読んだ童話で、ブドウを取ろうとしている子ぎつねの話みたいのがあった。高くて届かないところにあるブドウをとりたくてピョンピョン飛び跳ねていた子ぎつねがどうやっても取れないと諦める時に言う台詞、「どうせあんなブドウ不味いに決まってらい!」みたいな、その子ぎつねと自分が重なって見えたのである。

 

そしておれは世の中にその一員として関わることにした。余計なことは喋らずに、もの静かな一人のサラリーマンとして、実際にそのブドウが美味しいのか不味いのか、確かめてから答えを出そうと。

(まあ、実際のところサラリーマンとしてはかなり異質な存在だったと思うが。。)

 

と同時におれの中に生まれて来たのが「あたり前の男」というあり方に対する憧れのようなもの。

これもずっと子供の頃からあったのだけどなかなかそうなれない自分とのギャップの中で封印していたようなところがある。

 

まあ「あたり前の男」なんてのは単なる概念でしかないのだろうけど、愛するものを守るために黙って日々戦い続け、それを苦にもせず、当然のあり方として受け入れつつ、自分の信念を胸に秘めて社会と向き合う「大人の男」に対する漠然とした憧れ。。

サラリーマン時代(おれの人生の中で6年間)にも小説やら文章やら書こうという裏の顔は持っていたおれだがその当時に「大人の男」とは何か、みたいなことを考察するメルマガなんかを発行したりしてたりしたなんてのを今思い出したが。。

そんな憧れもあったのである。

 

で紆余曲折。

 

サラリーマン時代の末期にその時代を終わらせるきっかけとなったある出来事を機におれは自分を表現するって行為と完全に決別し、その後今のヨメさんと出会って家族を得た。自分の意思半分、状況に流されること半分。とにかく流れの中で泳ぎ続け、気が付けば自営業者として一応は家族を養い可愛い子供たちにも恵まれて現在に至る。

ある程度、「あたり前の男」になるってのは達成された。

 

そういう意味で、物語で言えばおれの人生は「めでたしめでたし」で終わったような状況だ。

実際に今あるおれの家族ってものはおれがこの人生で受け取った最高のものだと思っている。これがあるからおれは人として社会の中で生き、そして生かされているのだと思う。そこについては感謝しかない。

 

だがしかし、物語は終わっていない。

 

あの高いところにあるブドウは美味かったのか、不味かったのか?

 

実際に食べてわかったこと。

社会に関わるおれという個人の味覚からすれば、そのブドウはやはりおれには合っていないというのが実感だ。

食えなくもないしそれなりに栄養はあるけど、そんなに美味くはなかった。

しかしそのブドウを当然のものとして食べ続け受け入れる人たちもいて、そういう人たちの営みの恩恵を受けておれは快適な現代社会に生きている。だから、そのブドウは否定すべきものではないのだ。

が、それでもなお、自分のとるべき道、目指すべき場所はこのまま漠然と流れていく先ではなく、この先、あの頃(そして今も)自分が感じていた違和感を認め、それを自分の自分たる理由として受け入れて進んでいく先にあるのだと思う。

 

自分の場所をこれから自分で作って行くことでしか、この人生において自分の納得できる答えは出せないのだなと。不適応な人間は不適応なりに自分が適応できる場所を作って行くしかない、そうやって生きることが大きな意味で社会の中での自分の役割なのかもしれない。さらに大きな目で宇宙から見ればそんなことはどうでもいいことなのかもしれないが。

 

で、そんなことに向き合おうとこのブログを始める頃から思っていて、その動き出すきっかけとしてその頃ハマっていた登山を主たる柱としてこのブログをやってきたのだがその辺の状況が変わってきたのでこのブログの方針転換をしようと書き始めたのが今回のこれなのである。

 

そしてそれを始めるといろいろと想念が湧き上がってきてあらぬ方向に流れ出すというところから脱線して書いてしまった結果かがこれなのである。

 

そのことからもわかるようにおれの社会不適応の大もとはこうやって脱線してしまう今はやりの「大人の発達障害」的な気質に根っこがあるのかもしれないが、少なくともそこに渡りをつけてひとまずは社会に適応する行動がとれるようになった上で、それを言い訳にせずにおれはおれとして前に進んでいこうと思う。

 

発達障害といえばおれが自分を見て思うのはいわゆるADHD注意欠陥多動性障害)ってやつでその辺の自覚は随分前からある。子供の頃はひたすら忘れ物の王様で、冬休みの宿題を全部「忘れた」こともあった。まあ長年生きてきたからそれに対する対処は自然に身についており、毎日持っていく財布とか鍵とか携帯電話とか、とにかくちゃんと決まった場所に置いて(それをしないとどこに置いたかわからなくなる)持っていく時は指差し確認する、みたいな行動を身につけている。それでも忘れる時は忘れるが。

 

人ができることができないと痛感したのはバイクに乗っている時。

バイクのウインカー(方向指示器)ってのはオートキャンセルされないので(車だとハンドル戻したらキャンセルされるよね)曲がる時にはウインカー出す→曲がる→ウインカー解除するってことをしなければならないんだけど曲がるところに意識が行った時点でウインカーへの注意が飛んでしまい、そのままウインカー出したまま走り続けることになる。

これはおれと一緒にバイクで走っているやつにとってストレスみたいでツーリングなんかに行くといつも言われるのだが、おれからしてみるとウインカー解除を忘れずに常に意識していられることの方が不思議なのである。

 

が、実生活で本当に困ることといえばそれくらいのものだ。

そういう意味ではそれはあえて「障害」などというまでもないちょとした個性で済ませていい話のようにも思うがその辺は色々と議論があるようなのでこの辺で。おれよりも「重度」の人にとってはシャレにならない傾向なのかもしれないし、簡単には答えも出ないだろう。

とはいうもののおれの場合はこれだけレールから外れまくるきっかけとなっている要因でもあるんだとしたら、子供の頃から特別学級に行ってた方がよかったのか?

でもおれは子供の頃から矯正されて皆と同じように社会に適合するレールの上を歩けずにこうして外れまくってきた自分の人生をそれなりに気に入っているわけだから、それはそれでいいんじゃないかと思わなくもないが、しかしそれによって周りに迷惑をかけてたんだとしたら申し訳ないと思わなくもないが。。。

 

と、自分の中から湧き出るものを綴っていくとこんな感じなのである。

ちなみ今書いている文章は頭から始まって2時間くらいかれこれパソコンに向き合っている感じでつらつらと書いている。楽しい時間だ。

ちゃんと筋道つけて書こうつするともっととんでもないエネルギーを要するわけで、おれの中ではこんな感じのとりとめのない想念が絶えずうねくっている感じなのである。

 

と、またしても脱線したが。

 

で。

 

これだけぐるっと回った上で、今おれが本気で取り組んでいるのは一番最初に挫折した音楽というやつなのだ。

そこに一応の人生経験を突っ込んでやってみようと思っている。こうやって文章書こうとするとわけわからん感じに暴走しがちな想念を歌の歌詞に切り分けて落とし込んでいくってのはとても楽しい作業だ。きっと自分に向いている表現手段に違いない。つか、エレカシの宮本さんなんかもきっと同じような気質なんだろうなと感じなくもない。おこがましい話だし一応社会に適応している振りしているおれを知っている人から見たら想像もつかないような話だろうけど。

 

まあいい。話を戻す(どこへ?)。

 

そしてそこを起点にひとまず自分の思うあり方を目指すべく、そこで生きれる場所を構築すべく色々とやっていくにあたり、とりあえず力を抜いて、雑記的な感じに書きつつ自分の考えなんかを整理していこうと思って今回のブログ記事を書き始めたのだが気が付けばこんな感じなのである。

 

ちなみに当初の予定では以下のような項目ごとに今後ブログを運営していく上でのことなんかについて今回はまとめてみるつもりでした。。

 

1.今までのテーマのようなものだった山登りについてはどうするの?

 

2.仕事だとかいろいろ今後どうにかしたいの?

 

3.バンドとかどうなの?

 

4.生活スタイル、家事、育児、兼業主夫的なことから言いたいことは?

 

5.人生の流れについて語りたいこととか?

 

6.欲しいものとか買ったものとか?

 

まあ追々、上記のようなことをネタに記事を書くかもだけど。いまいちまだ頭の中で収拾がついてないみたい。

なんかそろそろ集中力が切れてきたので今日はこの辺で。

 

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■何ともしょうもない感じになってしまったのでおれが日頃親近感を感じつつすげーなと思って見ている人のブログを紹介してみるよ。

 

www.kandosaori.com

記事の内容も人生経験も振り幅が凄まじい、女性社長でいながら今はセブ島での屋台起業に精を出すかんどーさんのブログ。自らの苛烈な経験から練り上げた人生論には有無を言わさぬ説得力がある。このエントリーの「勝つ」の定義、「自分の行きたい場所にいけて、自分のやりたいことを形にできること」というのも「なるほどな〜」と。

そんじょそこらの自己啓発ビジネスみたいのとは全く違うパワフルな言葉に力をもらって、実際におれも「勝ちに行こう」と思わせてもらえた。

 

ibaya.hatenablog.com

家も仕事も全部投げ打ってホームレス状態で潔く人生を駆け抜ける坂爪圭吾さんのブログ。と、こんな単純な紹介には収まりようのないものすごく純粋な原理に基づいて生きている人で、この人の身に起こるいろんな奇跡的な出来事も面白いけど、それよりも人が生きるってことについての深く純粋な洞察から発せられる言葉がすごく良くて。おれのようなおっさんがいちいち勇気づけられるような、潔い生き様から発せられる言葉に宿る力はブッダとかキリストとかそういうレベルだけど、しかし生身の人間の等身大の部分も見えてそれがまた面白い。

 

と、真逆の生き様の二人のブログなんだけど、その根底にあるものにおれはすごくシンパシーを感じているのでとりあえず紹介してみた。

 

そして、そんな感じのおれの思いをこれから歌にしてガンガン発表していこうと思ってるところの第一弾がこれ。ここまでたらたらと書いてきたことにも通じる、「誰にも理解されなくてもおれがここにいるのには理由がある」っていう、シンプルなテーマのロックなので気が向いたらぜひ。

 

NobodyKnows...

NobodyKnows...

 

 

で、現在M.J.BAHNはミニアルバム発表に向けて鋭意レコーディング中。

そんな次第でM.J. BAHNもよろしく!

お茶の間ロックバンド | M.J. BAHN(えむじぇいばーん)公式サイト

 

まあなんとも収拾のつかない話、勢いでなんとなく腹のなかに溜まってたものを吐き出したような感じになってしまった。本当はちゃんと人に読ませる前提で文章を書きたいんだけど今回はひとまず。